ベルリンの壁崩壊から30年

ベルリンの壁崩壊から今年の11月で丁度30年。今年はベルリンを訪れる人も多いでしょう。ベルリンの壁とはなんだったのでしょうか?

 

 

 

ベルリンの壁崩壊時、大人だった人はニュースで見ているわけですが、興味がなければ私のように「ベルリン大変そう」ぐらいですませているかもしれません。そして、今の20代、30代の日本人は、ベルリンの壁については歴史の教科書で学んだことでしょう。でも日本の教育が昔のままであれば「1989年・ベルリンの壁崩壊」だけ覚え、あまり深く知らない人も多いのではないでしょうか?

 

 

ベルリンの壁

 

Photo from maps.berlin.com 

 

第二次世界大戦に無条件降伏したドイツは、英米仏ソ4国により分割占領されることになり、英米仏が占領する西ドイツとソ連が占領する東ドイツに分断されました。しかし、東ドイツに位置していたドイツの首都ベルリンは、更に4ヵ国で分断することになりました。東ドイツの中でもわりとポーランドに近いところにあるベルリンですが、首都ということで分断されたのです。

占領後、西側3ヵ国とソ連は占領政策によって対立。1949年5月には、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が成立、そして1949年10月7日に東ドイツ(ドイツ民主共和国)が成立。そして1952年には西と東の国境は閉鎖されました。

国境が閉鎖されてもしばらくの間、東西ベルリン市民は西と東を自由に行き来していました。地下鉄や道路も自由に利用できたので、東に住んで西で働くとか、家族半分は西、半分は東など、よくあったことのようです。戦後、東西の経済発展の明暗が明らかになってくると、東ドイツ国民は、社会主義に不満をかかえ、西ドイツに逃亡するようになります。国境閉鎖後、まだ自由に行き来できたベルリンから逃亡することを考えるのは当然のことだったでしょう。そうして毎年15万~30万の人が続々と西ベルリンに逃亡していったそうです。国成立の1949年から壁建設の1961年までの約12年の間に、西側に逃亡した人が280万人弱、1961年の東ドイツの人口は1,700万人なので、15%以上の人が国を去っていったということです。 

東ドイツのウルブリヒト書記長は人口流出阻止計画をソ連のフルシチョフ書記長に相談し、ベルリンの壁建設を話し合っていた1961年6月、ウィーン会談で米ソが対立。逃亡者が急増する中、フルシチョフとウルブリヒトが壁建設を決定、8月13日、壁の建設が始まりました。この様子は映画『ブリッジ・オブ・スパイ』にでてきます。

 

 

 

チェックポイント・チャーリー (Mauer Museum Checkpoint Charlie)

ベルリンを訪れる人の多くが訪れる壁博物館・チェックポイントチャーリーの移り変わりについてお話しします。

私がこの博物館を初めて訪れたのは2000年の夏。90年代後半からロンドンには東欧の人達が続々と増え、いろいろな話を聞いたり、カルチャーショックを受けることも多くなってきた頃でした。ドイツに興味がなかった私でしたが、とりあえず有名な観光地に行きましょう、ベルリンの西と東で何か違いが感じられるかなぐらいの感じです。

2000年のベルリンは’変革の時期’という雰囲気で、街のあちこちで工事が行われていました。ポツダム広場にソニービルは既にあったものの、まだまだ開拓中でした。ウンターデンリンデンのアレクサンダー広場に近い辺りは、東ベルリン時代の建物がそのままあり、現在のようにオシャレなお店などなかったと記憶しています。まだ東欧のコンクリートビルを見慣れていなかった私にはちょっと異様でした。そこへ、イギリスでは当時もう見かけなくなった、犬を連れた70年代風のパンク、しかもホームレス化した感じの人達が数人集まっていて、怖さを増したような記憶があります。 ちなみに、この時のベルリン訪問の1番の目的は「パンクのゴッド・ファーザー」と言われるイギー・ポッのコンサートでした(笑)私がドイツへ行く目的のほとんどが、もともとパンクのミュージシャンのコンサートです。そんな私がちょっと怖いと思うパンク・・・当然どこのコンサートにも往年のパンクはいますが、その人達とは雰囲気が違っていたのでした。

フリードリッヒ・シュトラッセも周辺同様、まだまだこれからの感じで、ギャラリーラファイエットなどはありましたが、人通りも少なく、チェックポイント・チャーリーもひっそりありました。

この博物館はもとは、壁建設前の1962年、人権活動家ライナー・ヒルデブラントを中心とする反共産主義者達のグループによって企画されたエキシビジョンだったようです。チェックポイント・チャーリーから北に3.5kmほどいった国境’ベルナウアー・シュトラッセ’の小さなアパートで開催されました。そのアパートの西ドイツ側は、多くのアパート同様、逃亡防止のために、窓がレンガで塞がれていたそうです。その後、1963年6月に現在のフリードリッヒ・シュトラッセニ移動、2カ月後の8月、ベルリンの壁がいきなり建設されたようです。

その後この反共産主義グループは、名前をThe Arbeitsgemeinschaft 13. Augustという、壁建設の日に変更しました。そして、東ドイツから西ドイツへ逃亡する人の手助けをしていたようです。冷戦中に既に逃亡の様子を展示していたとは思えないのですが、2000年に私が行った時には「壁博物館」という名の通り、東ベルリンから西ベルリンへ逃亡する写真、映像、逃亡に使ったボートや車を中心に、第二次世界大戦後のソ連による統治、東ドイツの生活、そして壁の崩壊までのことが展示されていました。

その後、創始者であるライナー・ヒルデナンドが2004年に亡くなり、彼の奥様アレクサンダー・ヒルデナンドが後継者になりました。彼女はキエフで生まれた人権活動家のようです。彼女の方針か時代の流れかはわかりませんが、年々東ドイツではない人権問題の展示が増えています。

2009年の壁崩壊20周年に訪れた時既に、東ドイツ以外の旧社会主義国の民主化、ガンジーなどの展示物がありました。その時は、主に社会主義国の話で、他の国の民主化なくして、ベルリンの壁の崩壊もないということで興味深く見学しました。

しかし、2013年夏に訪れた時は、逃亡関連の展示物は激減し、レーニンとマルクスのコーナーが消滅していました。何に変わっていたかというと、プーチン大統領の天敵であるロシアの石油王・旧ユコス社長のミハイル・ホドルコフスキーと、アンナ・ポリコフスカヤなど反プーチンのために暗殺されたといわれるロシアのジャーナリストのコーナーです。ベルリンの壁関連のものは、博物館の半分もないぐらいになっていて驚きました。何故ベルリンでアンチ・プーチン・キャンペーンしているのかとまで思ったりしました。更にその数ヵ月後、シベリアの刑務所から釈放されたホドルコフスキーが最初の記者会見を開いたのが、このチェックポイント・チャーリーでした。ホドルコフスキーのエキシビジョンが半年前既にあり、釈放後すぐにドイツで記者会見って出来レースだったのかと、無知な私は思いましたが、このことによって、博物館の所有者と歴史を知ろうと思ったのでした。

ホドルコフスキーの釈放には、元西ドイツ外相・ハンス・ディートリヒ・ゲンシャーがかなり貢献したとのこと。ホドルコフスキーは会見でゲンシャーとメルケル首相にお礼をいっていました。政治を引退したゲンシャーは、チェックポイント・チャーリー博物館に関わっており、ホドルコフスキーの釈放に外交的に関わるように、アレクサンダー・ヒルデナンドに依頼されたようです。

東ドイツ時代、東ベルリン市民の逃亡を援助した人権団体は、ドイツ統一後(もしかしたらそれ以前も?)国外へ活動範囲を広げているようです。こうして年々、チェックポイント・チャーリーは変わっていくのでしょう。あと5年ぐらいしたら、中東からの難民の展示室が増えるかもしれませんね。

公式サイトによると、現在もホドルコフスキーのコーナーはあるようですし、他にも東ベルリンや東欧とは関係のない展示も多いので、東ベルリンや冷戦のことを学びに行く人には物足りないかもしれません。そういう方におすすめは「壁ドキュメントセンター」です。

壁ドキュメントセンター (The Berlin Wall Documentation Centre)

ベルナウアー・シュトラッセにあります。逃亡を試みたたくさんの方が亡くなったこの通りには、ベルリンの壁メモリアル・パーク、ドキュメントセンター、ビジターセンターなどがあります。ドイツ歴史博物館の発案により建設され2008年にオープンしたそうです。

チェックポイント・チャーリーのようにお買い物ついでに寄るということはできないのですが、アレキサンダー広場やフリードリッヒ・シュトラッセから地下鉄・トラムで15分ぐらいで行けるので、ベルリンの壁について詳しく知りたい方は、こちらをおすすめします。

チェックポイント・チャーリーには、壁の模型、逃亡に利用した車・ボート・気球などが展示されていて、子供がいっても楽しめるようになっていますが、壁ドキュメントセンターは、壁の建設、東ドイツ市民の生活、逃亡の様子などひたすら写真と映像です。私が行った時には、最後の方に有刺鉄線がありました。また、建物の上にある展望台からは、通りの向かいのメモリアルパークが見えます。

メモリアルパークには、当時の壁があり、私が行った2009年には、そこで逃亡を計り射殺された人達のための十字架が立ち並んでいましたが、現在写真を見ると、十字架はなさそうです。もしかしたら、写真をネットにアップしてないのかもしれませんが。6月にベルリンに行くかもしれないので、もし行ったら確認してきます。

壁博物館・イーストサイドギャラリー (The Wall Museum East Side Gallery)

写真は壁崩壊時に東西ベルリン市民が抱き合ったりしたニュースがたくさん流れていたオーバーバウム橋です。2016年の春、この橋のそばにある、ベルリンの壁にいろいろなアーティストがペイントしているイーストサイドギャラリーに The Wall Museum「壁博物館」というのがオープンしたらしいです。多分、1番上の写真のお土産物屋があったところでしょうか? 元ソ連の大統領・ゴルバチョフが関わっているようです。私はまだ行っていないのでおすすめはしませんが、6月にベルリンに行く時、時間があれば行って報告します。

チェックポイント・チャーリーhttps://www.mauermuseum.de/
ベルリンの壁メモリアルhttps://www.berliner-mauer-gedenkstaette.de/
壁博物館https://thewallmuseum.com/

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